原因はいろいろあるだろうけれど、生命に関わり、かなりの人が不幸な転帰をたどる状態だと知らされた時、タイトルに続く言葉には2つあるのだろうと思う。
1.「大切な人だからこそ、どんな姿になっても生きていて欲しい」
2.「大切な人だからこそ、苦しませずに残された時間を一緒に過ごしたい」
正論は前者(1.)であり、ぼくは「あの時」は、その立場をとった。
でも、今考えると自分の親がそうなったとき、自分はそう言い切れるだろうか。
4年前、虚血性心疾患で母を亡くした。病院到着時心肺停止。享年67歳。
もし、救急車が着く前に自分が何らかの救命処置が出来ていたら、あるいは母は命を落とさずに済んでいたかもしれない。
その意味での悔いは今も自分の心を締め付ける。
でも、命はとりとめても昏睡状態になったままだったかもしれない。
あの時、何事もなかったとしても、母は他にも持病を抱えていて、その合併症で苦しむことになったかもしれない。
それが生きていくことだとしたら、それは母にとって、そしてぼくや姉夫婦にとって幸せなことなのだろうか。
分からない。分からない。
それでも「あの時」の出来事で1つだけ分かったことがある。
その人(本人が意思表示できないときは家族)が下した決断を、ぼくらは見守り支えることしかできないのだと。
冷静に救急車を呼べただけでも凄いこと、自分を褒めてやっっても良いのではないかと思うよ。
返信削除カズさん
返信削除> 冷静に救急車を呼べただけでも凄いこと、自分を褒めてやっっても良いのではないかと思うよ。
今はそう思っています。
ただ、あの時、救急隊から母に何が起きたかについて何も知らされず、病院に着いて姉が来て救命処置室で冷たくなった母と対面するまで、何があったのかを教えてもらえなかったことは心のなかにしこりのように残っています。
いつもの大学病院に搬送されなかった時点で察するものはあったけれど。
それはさておいても、立場を自分の身内に置き換えると、「あの時」自分はどう接するすべきだったのかが分かるというのも皮肉なものです。
でだ、話を「あの時」に限定するならば、第三の道が存在したと思います。
返信削除それは…
「何もしない、触れない」
…ことです。
それは第三者だからこそ選択できる道です、でも、さと坊さんも僕も「何もしない、触れない」ことはしなかった…いやできなかったのかな。
だけど、そこから先の対応が異なったということだけかな。
さと坊さんは愚直で不器用だから、恐らくああなったのでしょうね。
多分「自分は何もできやしない、でも黙ってやり過ごすことはできなかった」という点では「あの時」にコメントした僕を含めて5名の気持ちは一致していた思いますよ。
誰の意見が正しいか?なんてのは誰にも判らない。