2011年2月6日日曜日

東京でもまだこんなことがあるんだね。

皆様、お久しぶりです。

このところ、「コメントで書けないなら自分の日記で書けばいいじゃないか」ということでmixiでかなり濃い目の日記ばかり書いていて、ブログにまで手が回らなかったというのが正直なところです。

さすがにこの話はmixiでは書きづらいので、こちらで。

数日前、ちょっと遠出してここらへんではかなり規模が大きいスーパーマーケットに行ってきました。
買い物自体は目的のものはあったし、思わぬ見つけ物をしたりと収穫は多かった。

問題は帰りだった。
幹線道路から外れた場所にあるし、自宅まで帰るには、まず送迎バスでスーパーの最寄り駅まで行かなくてはならない。
時間的にも夕方近くになってそろそろ寒くなる頃だし、日が落ちる前にはスーパーを出たい。

1階の総合案内カウンターで送迎バスの時間を確認して、バス乗り場に向かう。
時間が時間だからバスが到着する前に結構人が並んでいる。
しかも、間の悪いことにもう一人車椅子の先客がいる。

大抵の場合、始発から乗る場合は車椅子利用者を先に乗せるわけです。
車椅子を乗せるには座席を折りたたむ必要があるので、その場所に一旦座ったお客さんを立たせてしまうのはいろいろと厄介だったりする。
そういうわけで、自己申告を兼ねて、敢えて列から離れて案内係のところに行った。
そこにちょうどバスが到着した。

正直思い出したくない話なのだけれど、そのバスの運転士があからさまにぼくに向かって言った。

「あともう少し中で遊んでいればいいのに」

ぼくを含めた車椅子客が2台乗り込んだあとに乗ってきた健常者の乗客が、あからさまにぼくに冷たい視線を送ってくるのが分かる。
後ろのほうでヒソヒソと「何もこんな混んでるバスに乗らなくてもねえ」と話している声まで聞こえてくる。

そりゃあ、一般の乗客だけでなく、運転士だって人間だし、面倒なことはしたくない。ましてや混んでいる時間帯で、おまけに車椅子の先客もいる。
ぼく自身も車椅子2台なら大丈夫だろうと甘く見ていたのは否めない。
でも、車椅子1台乗せると二名は座れなくなってしまう。2台なら四名が座れないことに。

でも、もし乗せたくないならもっと言い様があるんじゃないかと。
「この時間帯、送迎バスは混雑するので車椅子は1台しか乗せないことになってるんですよ。寒いところ申し訳ないけれど次のバスまで待って下さいね。」とか。

民間、それも路線バス事業者でないところなら仕方がないと思えるのだけど、そのスーパーは東京都交通局に送迎バスの運行を委託しているわけです。
都バスの運転士なら、他の路線で車椅子利用者を乗せることもあるはず。
もしかして、他の路線でもあんな言い方をしているのだろうか。

バリアフリー意識の高いはずの東京でこうなんだから、地方じゃもっと酷い事を言われている可能性は高い。
これじゃ、地方でバスに乗る車椅子利用者がいないのは当たり前だと思った。
あんな不愉快な思いをするぐらいなら、免許をとって自分のクルマで移動するほうがずっとラクだもん。
そもそも地方都市じゃクルマがないと生活が成り立たないというのもありますし。

実際に言われてみないと分からないことは他にあるかもしれない。

「頭で考えるな。まず感じろ。」

ぼくが今年一年のテーマにしていることだけれど、まさにそれを地で行く出来事でした。
はぁ・・・脱力。でも、生活していく上でバスを含めた公共交通に乗らないわけにはいかないので、何と言われようともバスには乗り続けます。

14 件のコメント:

  1. こんばんは。
    そういうこと言われると、傷つきますよね。
    私も以前、混んでいるバスに乗ろうとしていて、追い抜いて行ったバスがガラガラだったとき、
    「こういう時には、次のバスに乗ってください」と運転手に言われて、頭に来ました。
    私は予知能力があるわけじゃない!

    まだまだ、東京と言えどもバスは乗りづらいですね。

    ※ポケットです。記入者の書き方がよくわからなかったので、「匿名」にしました。

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  2. ポケットさん、コメントありがとうございます。

    Bloggerの難点として、公開/非公開/限定公開やその範囲を含めて、ブログ主がかなり自由にカスタマイズ出来るけれど、その分読む側には敷居が高いみたいです。
    「コメントの記入者」はBloggerの基本機能らしく、ブログ主ですら外す事ができない仕様になっています。

    基本的には「名前/URL」でいけば大丈夫なんですが、これでは他のブログサービスより利用者が少ないのも頷ける話です。
    Bloggerを見ていると、Googleさんも成功したサービスばかりではなさそう。

    正直、FC2ブログやココログ、ポケットさんがお使いのライブドアブログへの移転も考えなきゃいけないのかなあと。

    前置きが長くなってしまったので、一回、ここでひと区切りつけて、改めてポケットさんへのコメントを書きます。

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  3. ポケットさんへ。改めて本題です。

    やっぱりあからさまに言われると凹みます。バスの中でとても居心地悪かったし。

    あと、ぼくが乗ろうとしているのに気がついて、あわててバスが発車するというケースも何回かありました。バスが乗車拒否するなんて…。

    でも、昔はもっと酷かったんでしょうね。
    川崎での「青い芝」によるバスジャック事件を想像してみると。
    あれから33年、都市部に限定すれば車椅子でバスに乗れる環境は整ってきている。
    でも、人の心はかえって荒廃しているんじゃないのかと言う感じを受けます。

    ハードウェアだけ整備されてもなあ。
    公共交通は会いたい人や行きたいところにアクセスするための手段であって、乗ること自体が目的じゃないんですよね。

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  4. どこぞのトイレ話に似たようなシチュエーションだな。

    まぁそれは置いておくとして、その瞬間は脱力しただけだったの?もっと腹が立たなかったのかな?

    その瞬間は取り敢えずバスに乗ることを優先したので、まぁ怒りの感情を抑えたとしても、ここではもっと怒りの感情を吐き出してもいいんじゃないのかな。

    「頭で考えるな、まず感じろ」ならば尚更ではないかなって思う…って、偉そうなこと言えるほど俺もまだ怒りに関して感情表現ができているわけではないよ。

    あと「悔しい」という感情は芽生えていないのかな?俺なら怒りより悔しいの方が先に来るんだけれどね、まぁそれは人それぞれに感情を司る回路が違うと思いますからね。

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  5. 本題に入る前に。

    うう〜〜〜、BloggerというかGoogle、こっちが設定解除して
    いるのに、コメントまでスパムチェックしなくていいですから。
    よりによってカズさんのコメントを狙い撃ちしている感もあるし。

    下手するとプライバシー侵害でGoogleを告訴しちゃうかもよ。
    Bloggerが人気無い理由がまた1つわかってしまった。
    他にも絵文字が使えない等、いくつか理由はあるのだけど。

    さて、本題。カズさんへ。

    もちろん腹は立ちました。でも、これはどうしようもないこと…って
    気持ちを抑制する癖が付いちゃってるんだろうなあ。
    あと、このレベルだと怒りの感情は持続しないんですよ。

    とりあえず、問題の発生したバスから降りて、次の自宅近くまで
    行くバスで運転士さんの対応が良かったらもうさっきのことは
    どうでもよくなると。
    無意識にさっきの怒りの感情を抑圧しているいないの問題はある
    けれども。

    あと「怒り」と「悔しさ」って、どう違うんでしょうね。
    調べてみると、元々「悔しさ」には「自分のしたこと」への後悔が
    含まれているのだそうです。けれども、今はそういうニュアンスは
    ほとんど使われなくなっている。

    仮にカズさんが「悔しい」に「自分のしたこと」への後悔を含めて
    いるとしても、少なくとも今回のことに限定して言えば、
    ぼくのしたこと(人混みの中を敢えて送迎バスに乗ること)は
    後悔していないし、あの時、一台見送って、次のバスまで待ったと
    しても他の乗客に迷惑を掛けることに変わりはない。
    あからさまに言われないだけの話で。

    極論だけども、他者に迷惑を掛けるのが嫌なら、ぼくらは外に
    出ていけない。
    もちろん、そういう考え方に対してセンシティブになられる方が
    居られることも知っています。

    一部の当事者に「当事者運動」が支持されない理由の1つもそこに
    あるのかもしれないですね。

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  6. 注:実はカズさんのコメントを読み誤って、自分のコメントを
      付けたので、それは自主削除しました。
      見出し部の「*コメント」で表示されるコメント数より、
      実際のコメントは1つ少なくなっています。為念。

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  7. 俺やさと坊が怒りの感情を素直に出せなかったろ、自然に抑圧してしまっている理由って、やっぱり長い間のサラリーマン生活のせいだろうな、サラリーマンが日々の出来事の一つ一つに感情…特に怒りの感情を爆発させていたら、やってられねぇってのは本当のところだからな。

    さて悔しいですが、今回の場合は”口惜しい”と表記すべきだったかなと、さと坊さんのコメント読んで思いました。

    俺もそうだけど、さと坊さんも親とか学校から「周囲に迷惑を掛けちゃ駄目」という思想を長年にわたって刷り込まれて
    いて、そこの呪縛からなかなか抜け出すことは難しいのではないかなと思います、そこのところはかなり厄介な問題として今後もついて回ってきそうだなと思ってういる。

    少なくとも「迷惑を掛けることに変わりはない」っていう言葉をここで自然に語っているうちは呪縛の紐はきつく結ばれているんじゃないかな。

    ただ自分の今の状態を正確に認識することは感情をもっと放出する前の段階で大切なことだから、こうやって書き綴ることは無駄じゃないだろうな。

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  8. カズさん、今回はすんなり通りましたね。

    これでスパムチェックに引っ掛かるようなら、他社ブログサービスへの移転も考慮しなければならなかったので、

    さて、本題です。

    「口惜しい」って、もっとドロドロしたものを感じます。「恨み」にも通じるような強く蓄積された怒り。
    ぼくの場合、それを出したのは高校を出てなかなか仕事がうまく見つからなかった時ですね。

    あと、ぼくは高校も一般の高校にいたわけだけど、修学旅行に参加するときに、いわゆる「保健室の先生」から物言いがついたんです。

    それが学校側の意向なのか、その「保健室の先生」の独自判断なのかは、今は確かめようがないわけですが、授業中にいきなり自分だけが保健室に呼び出されて「修学旅行への参加は認めません」と。

    どうやら過去にてんかんを持った生徒が参加して、現地で発作を起こして大騒ぎになったらしいのだけど、ぼくはてんかんは持っていないし、とにかく納得できない。

    今だったら「それは先生個人の意向ですか。それとも学校の意向ですか」と聞いて対処を考えるぐらいの余裕はあるけれど、このときは「保健室の先生」に掴みかかりそうな勢いで怒りましたね。感情のリミッターは外れていました。

    当然(?)ながら当時のホームルーム担任にも言いました。とにかく「俺は修学旅行に行く」と言って、実際に旅行に行きましたし。

    今考えるとホームルーム担任の「何があってもクラスの一員としてお前を修学旅行に連れていく」という意思が力になってくれたことは大きいです。

    その意味で言うと、社会人になって得るものもあったけれど、牙を隠さざるを得なかったことでもあるわけで。

    それが「呪縛」ってヤツなんだろうなあ。

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  9. 追記:
    修学旅行の件、親には言ってなかった。あくまで自分と「保健室の先生」の問題だと思ってたから。
    ここで親にしゃしゃり出られたらもっと厄介なことになると思ったし。

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  10. そんでさ最初の話に戻りたいのだけど、その後ろで冷たい視線を送りながらひそひそ話をしていた乗客に対してはどんな風に感じたのかな?

    俺なら「テメェら見てんじゃないよ」って感じで睨み返すかもしれません、まだ幸いにしてそういう場面に車椅子で公共交通期間に乗っていて遭遇したことがないので、なんとも言えないのですけれど。

    むしろ会社に電車で通勤していた頃にあらかさまに隣の乗客に「嫌だな」みたいな視線を浴びせられたり、席を立たれることの方が多かっかたな、その時は内心では面白くないと思っても行動には移せなかったなぁ、無駄なエネルギーを使い消耗したくなかったし、なりよりも我慢することが良いことだと思っていたからね。

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  11. カズさん、またスパムチェックに引っ掛かってました。

    Googleがどういう基準で投稿されたコメントを「スパム」と見なしているかを明確にしていないので、意識してコメントの振り分けをチェックしていないと、スパムチェックに引っ掛かったコメントを見逃してしまう。
    ブログ「炎上」防止策としては有効かもしれないけれど、ちょっとやり過ぎ感も。

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  12. 改めて、カズさんへのコメント。

    半ば車椅子に固定されているので、後ろを睨みつけることも出来ずに、いたたまれない気分でした。
    その意味では「口惜しい」は間違っていないかも。

    もし介助者が一緒だったら1台見送る判断をしただろうし、電車だと単独乗車でも大抵1台見送ることになるので、乗っている路線で事故でも起きない限り、まず今回みたいな殺伐とした状況にはならない。

    ぼくにとっても、同乗する他の乗客にとっても、バスは一度乗ったら逃げ場がないですから。

    今回は巨大スーパーマーケットの送迎バス、しかも、ぼくを含めて乗客は買い物に疲れていて、日が落ちて寒くなる前に帰りたいという、もともと殺伐になりやすい状況下にあったというのもあるし。

    でも、こういうときにこそ、真の人間の本性が出るとも言えるので複雑な気分です。
    仮定としては適切ではないけれど、東京で阪神大震災クラスの大規模災害が起きたら、ぼくを助けてくれる人間はいないことになってしまうので。

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  13. 聴覚障害のみやびです。

    聞こえない私にも似たようなことはあって、
    たとえば今から12年くらい前に市民講座に申し込むと最初は軒並み断られた。

    「他の人に特別扱いと言われるから自分から取り下げてください」という丁寧な実筆をもらったこともある。
    「予算がありませんので」という断り方も多かった。

    でどうしたかというと大阪には人権課という制度があって、BBと一緒に区役所に届け出た。

    そうすると向こうが手のひらを返したように頭を下げてくるわけですね。

    そうやって受講が認められても、
    面倒なことはたくさんありました。

    同席したおばちゃんが「手話通訳が邪魔だからどいて」とはっきり言ってくる、とか。

    ノートを取れないので、手話通訳の休んでいる人に、というのは制度としてできないことになっていて。
    困って、周りの生徒さんにお願いして写させてもらったりしていました。(つまり、手話通訳とノートテイク両方保証するほど日本は進んでいないのです。)

    そういうことの繰り返しだととても気持ちが疲れるわけです。

    それでも、例えば色彩検定講座を受講終わってから、4級がとれたらコピーをとって主催元にお礼を送信する。

    そういうささやかなことだけど、きちんと御礼返しをしていて、

    すこーしだけ社会は変わってきたと思ったよ。

    同じ男女共同参画センターで娘のツボミスクールを受講しようとしたら手話通訳最初からOKになってました。
    主催者の方もきちんと紹介の挨拶があって、嬉しかったです。

    さと坊さん。

    よかったら「ローザ」という絵本を読んでみてください。アメリカの公民権運動も、バスの座席拒否から始まっています。私は時代を超えて勇気づけられます。

    http://p.tl/LG4P

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  14. みやびさん、コメントありがとう。

    そして…またしてもコメントがスパムチェックに引っかかって掲載が遅れたことをお詫びします。
    上の方でも書いているけれど、Googleのサービスの中で、Bloggerだけは結構文句言いたいところが溜まっているんです。
    ブログ管理者画面の操作(ユーザインターフェース)が頻繁に変更されたりとか。

    それはさておき、まだまだぼくらが苦労して得なければならないことは多い。

    車椅子での単身バス乗車にしても、ぼくがこのブログで書いたことはまだ良い方で、いったん東京を離れてみると、まだバス会社の無理解と戦わなければならなかったりとかあるようですし。

    みやびさんお薦めの「ローザ」、読んでみますね。

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